『シュトヘル』と『山月記』①

  13世紀、現在の中国西北部に実在した西夏文字をめぐる歴史ロマン『シュトヘル』と、教科書に掲載されたことで”国民的文学”の地位にある短編『山月記』には共通点がある。
 どちらも『文字』をテーマにしている点だ。

 

 『山月記』は『孤憑』『木乃伊』『文字禍』三篇の短編とまとめて『古潭』と呼ばれる連作の一つだ。

 『古潭』については、『論攷 中島敦』(木村瑞夫著)等で、「文字」によって中島敦自身の「魂」の永遠化願望を実現しようとする取り組みが指摘されている。

 中島敦は『古潭』のなかで、いかにして文字で”一己の魂”を永遠にしようか模索していく。

 

 

文字がなければ存在しないのと同じ

(以下『古潭』作品配列順序『論攷 中島敦』参考)

 『孤憑』の主人公シャクは「空想物語」を創作し、それを聴衆に語ることにやりがいを感じるが、魅力的な語りができなくなると同じ部族の人々に処刑されてしまう。

 シャクの生きる時代に文字はまだ無い。

但し、斯うして次から次へと故知らず生み出されて來る言葉共を後々迄も傳へるべき文字といふ道具があつてもいい筈だといふことに、彼は未だ思ひ到らない。

 文字という道具の不在がわざわざ記述され、最後には「斯うして一人の詩人が喰われて了ったことを、誰も知らない。」と、文字による記録がシャクのアイデンティティを残すことができた可能性が示唆される。

 後述する『文字禍』では、以下のように書かれる。

 書洩らし? 冗談ではない、書かれなかった事は、無かった事じゃ。芽の出ぬ種子は、結局初めから無かったのじゃわい。歴史とはな、この粘土板のことじゃ。

 

肉体を超える魂と、文字の限界
 『木乃伊』では異邦人の血筋からか、生まれ育った母国波斯(ペルシャ)に馴染まない武将パリスカスが主人公。この作品の時代には文字が存在している。
 ペルシャ軍人としてエジプトに侵攻したパリスカスは、現地人の言葉や文字が理解できることに戸惑う。

 メムフィスのまちはづれに建つてゐる方尖塔オベリスクの前で、彼は其の表に彫られた繪書かいしょ風な文字を低い聲で讀んだ。そして、同僚達に、其の碑を建てた王の名と、その功業とを、矢張、低い聲で説明した。同僚の諸將は、皆、へんな気持ちになつて顔を見合わせた。パリスカス自身も頗るへんな顔をしてゐた。誰も(パリスカス自身も)今までパリスカスが埃及の歴史に通じてゐるとも、埃及文字が讀めるとも、聞いたことがなかつたのである。

 文字があるため、『孤憑』のシャクと異なりペルシャの王の功績は碑によって残された。しかし文字があっても、読める者と読めない者に別れてしまうことも同時に描写される。パリスカスが所属するペルシャ軍が侵攻したメンフィスは、エジプトの都市だ。当然、石碑に書いてあるエジプトの文字はペルシャ人達にとって外国語になる。彼らに石碑が読めないように、生まれも育ちもペルシャであるパリスカスが読めないはずのエジプトの文字を読んだので、「へんな気持ち」になったのだ。
 文字はアイデンティティを残すことができたが、受け取り手に素質を必要とする点で完全ではなかった。また、"外国語"と"母国語"のような、言語によるアイデンティティも浮き彫りになっている。

 彼は最早木乃伊ミイラを見ない。魂が彼の身體を抜出して、木乃伊に入つて了つたのであらうか。

 またパリスカスはエジプトで前世の自分の木乃伊と遭遇し、「前々世」まで遡った記憶を見てしまい発狂する。
 ここでは必滅の肉体を超えた「魂」が描かれている。『狐憑』のシャクが失ったのは肉体を伴う「命」そのものではない。一己の人間と別の人間とで異なるアイデンティティ*1、そうしたものが「在る」ことが描かれている。パリスカスはその「魂」が不安定になってしまったために発狂し、生きながら死んでしまった。

 そして、『古潭』はこの「魂」を”文字”によって「永遠化」しようとする試みなのだ。

 

文字は完全に「何か」を写すことは出来ない
 アッシリア王国の老博士ナブ・アヘ・エリバが、王宮図書館で夜な夜な聞こえる怪しい話し声の調査を命じられるのが『文字禍』だ。声の正体は図書館の書物につく「文字の霊」だろうと考えられ、博士は王命を受けて「文字の霊」の研究を始める。文字と向き合ううちに、博士は文字そのものの概念を見失ってしまう。

 獅子という字は、本物の獅子の影ではないのか。それで、獅子という字を覚えた猟師は、本物の獅子の代りに獅子の影を狙い、女という字を覚えた男は、本物の女の代りに女の影を抱くようになるのではないか。

 『文字禍』では文字が完全に物事を記録できないことを、事象の「影」と表現している。

文字の精共が、一度ある事柄を捉えて、これを己の姿で現すとなると、その事柄はもはや、不滅の生命を得るのじゃ。反対に、文字の精の力ある手に触れなかったものは、いかなるものも、その存在を失わねばならぬ。

 「獅子」や「人間」など、あらゆるものは文字に変わると変質してしまうと指摘する。

 『木乃伊』では「文字」が読み手を選ぶ点が指摘されたが、ここではさらに文字の記録自体が完全に事象を記録しない現象についてより深く取り上げられる。博士はこの現象を「文字の霊の媚薬のごとき奸猾な魔力」として嫌ってしまう。
 文字は「欠点」のある道具と言うよりも、人間とは別の、しかも人間よりも力強い存在として描かれている。小説ではそうした「文字の魔力」は人間の思い込みであるようにやや滑稽に描かれてもいる。

 

文字は「魂」を残すことができるのか
 唐代の役人・李徴が詩人を目指すも叶わず、発狂したすえに虎になった『山月記』は『古潭』中最も有名な短編だ。

 前述した『論攷 中島敦』の中で、木村氏は「李徴の願望「名を死後百年に遺さう」は単に「李徴という名を後世に伝えようとするものではない。詩に込められた李徴の魂(詩的精神と呼ばれるもの)、すなわち彼が他人と区別されるところの李徴という個を形成するものを永遠化させようとするものである。」と考察している。

李徴の失敗は虎になったことにあるのではない。己の魂を詩という表現形態を用いて永遠化しようとしあことの失敗にある。(『論攷 中島敦』木村瑞夫著)

 そして『山月記』を古潭四篇の最終話と位置づけ、一連の文字による魂の永遠化は失敗したと評価する。

 「実存」にこだわり、〈文字・言葉〉という表現手段を用いて、己の魂を詩に託し、永遠を求めたが果たせず、それどころか、人間としての現存在も失い、こだわった「実存」すら何の意味、価値も持たないことになってしまう一連の過程をもって李徴の悲劇と言うのである。
(『論攷 中島敦』木村瑞夫著)

 たしかに、李徴が虎になる以前の詩を聞いた友・袁傪は李徴の詩を「しかし、このままでは、第一流の作品となるのには、何処か(非常に微妙な点に於て)欠けるところがあるのではないか、と。」と考える。

 ところが、李徴が人間になる前に作った詩を諳んじた後、即興で詩を詠むと反応が変わる。

 お笑い草ついでに、今の懐を即席の詩に述べて見ようか。この虎の中に、まだ、曾ての李徴が生きているしるしに。

(中略)

 時に、残月、光冷やかに、白露は地に滋く、樹間を渡る冷風は既に暁の近きを告げていた。人々は最早、事の奇異を忘れ、粛然として、この詩人の薄倖を嘆じた。

 中島敦はあえて即興詩の後に初めて袁傪とその部下達が「事の奇異を忘れ」たと書いている。しかも李徴の苦しみに「薄幸を歎じた」と寄り添っている。李徴自身が自嘲するように、彼はプライドが高いだけでなく、残した妻子よりも、最早人間に戻る希望も無く保身のしようが無い自身の詩作を残すことに固執する姿からは虎になったことも罰のように受け取ることが出来、「薄幸」と同情するには業が深いにも関わらず、無関係の袁惨の部下まで感じ入っている。

 この朗読の後に、李徴はこう語る。

どうすればいいのだ。己の空費された過去は? 己は堪らなくなる。そういう時、己は、向うの山の頂の巖に上り、空谷に向って吼える。この胸を灼く悲しみを誰かに訴えたいのだ。己は昨夕も、彼処で月に向って咆えた。誰かにこの苦しみが分って貰えないかと。しかし、獣どもは己の声を聞いて、唯、懼れ、ひれ伏すばかり。山も樹も月も露も、一匹の虎が怒り狂って、哮っているとしか考えない。天に躍り地に伏して嘆いても、誰一人己の気持を分ってくれる者はない。ちょうど、人間だった頃、己の傷つき易い内心を誰も理解してくれなかったように。

 李徴は人間だった時、虎になった今も、自分の気持ちは誰にも理解されないと嘆く。実際、人間だった時に作った詩は袁傪の心には届かなかった。しかし虎になって詠んだ詩を聴いた人々は、まさに彼が自分自身を嘆いたように「この詩人の薄倖を嘆じた。」のだ。
 李徴は虎になったがために、傑作を作り、その窮地のために危急の策として友に作品を披露し残してもらうことができたと考えると、魂の永遠化に成功したと言えるのではないだろうか。

 

論攷 中島敦 (和泉選書)

論攷 中島敦 (和泉選書)

シュトヘル 14 (BIG SPIRITS COMICS SPECIAL)

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中島敦全集〈1〉 (ちくま文庫)

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*1:(※「心理学・社会学人間学などでは、「人が時や場面を越えて一個の人格として存在し、自己を自己として確信する自我の統一を持っていること」と説明され、「本質的自己規定」をさします。」[三省堂辞書サイト]10分でわかる「アイデンティティー」( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/topic/10minnw/024identity.html))